「雉」北陸地区のブログ

「雉」句会の活動を公開しています

俳誌「雉」5月号より

「雉」誌に掲載されておりましたが、二重投句の問題があり、句会報も、「雉」誌の掲載を待ってからとなりました。

句会報をお待ちの皆様へ、「雉」誌掲載の北陸地区の方々の作品をご紹介いたします。

 

   【同人作品】

白雉集

   春近し   小林 亮文

連峰の尾根くつきりと春近し

放し飼ふ鶏の下萌ついばめり

見えねども土盛り上がる蕗の薹

剱岳雲間を白き冬の月

雪解風苔の色濃き旧庄屋

底の鯉上を窺ふ四温かな

 

   春吹雪   佐瀬 元子

山茶花咲き継ぐなかを逝きたまふ

春灯遺影のまなこ潤みをり

野辺送り春の吹雪となりにけり

雪折れの伐りたる幹の太かりき

春めくや廂の影の深くなり

引く前の鴨ゆつたりと流れけり

 

   山茶花   福江 ちえり

撓ひたる竹の凍てをり峠越え

  悼 青木和枝先生

山茶花や永久の眠りに薄化粧

春の雪御堂を出づる柩かな

名を呼んで柩を送り春の雪

春雪の靴に沁みゐる野辺送り

足跡に足跡重ね春の浜

 

  枝垂れ紅梅   中山 ち江

コロナ禍へしつかりと撒き節分会

日脚伸びちよこんと椅子に孫座る

御堂に射す春の光りの美はしき

ふつくらと枝垂れ紅梅墓所に咲き

父と子とそつと涅槃図掛けゐたる

がたがたと雨風強し彼岸前

 

飛翔集

   料峭   度山 紀子

料峭やワインセラーに一人づつ

隧道の一すぢ光り春動く

這ひながら受くる福豆鬼の豆

早春や滾る寒雉の釜の鳴る

師は逝きぬ聖(セント)バレンタインの日

楚々と咲く金縷梅の木を撫づるかな

 

   帰る鶏   山岸 昭子

  青木和枝先生 追悼

山襞にひかりを撒きて帰る鳥

地に拾ふ実のふくらめり今日雨水

風花や野に五位鷺のみじろがず

二人きりの姉妹となりて梅見かな

雪しろのひかり溢るる野道かな

雪解けて庭のをちこちゆうきん花

 

   白梅   海野 正男

白梅に結ぶ合格祈願絵馬

如月の青竹を割る神事かな

躙り口開けてとほせる春の風

立春大吉棟上の木の香り立つ

きらめける涅槃の雪にみまかりぬ

白梅やまこと小さき骨の壺

 

 名残の雪   本多 静枝

をちこちの雪吊取れて空広し

春暁の雲間に霊峰ひかりをり

産土の匂のとどき木の芽風

倶利伽羅の名残の雪や通夜詣

空耳か師の呼ぶ声や二月尽

苔むせる磴の百段紅椿

 

  梅二月   宮崎 惠美

塔尾陵へ石段六十寒椿

権六の筆の極細腰障子

試飲して少し酔ひたり梅二月

化粧水顔に噴霧の春来る

如月や紫水晶贈らるる

春の日や金沢城の海鼠壁

 

青藍集

   早春   生田 章子

立春や干し場に仄か日の匂ひ

春立つや靄立ちこめて散居村

両袖を広げ威を張る男雛

くつきりと犬と靴あと雪解径

手紙出し戻る坂道梅の花

弟の遺影新し冴返る

 

   山茶花   福江 真里子

ストーブの火のとろとろと法話かな

朗朗と続く読経や春障子

沖と空淡く明るき二月かな

山茶花を雨の打ちゐて旅立てり

笹の中椿の紅のちらほらと

山茶花の白凛として別れかな

 

  独活洗ふ   後藤 かつら

蜆舟湖から湖へ影を曳き

夕鐘や川門に洗ふ鶯菜

暖かや鯉の群がる麩の一つ

牧開水平線のかち色に

春浅き荒鋤の土湯気立ちて

独活洗ふ落人村の外流し

 

  地虫出づ   辻江 恵智子

春の雪霏々と喪服の裾までも

ふるさとの風の匂や地虫出づ

継ぎ接ぎの縄文土器や冴返る

校庭に声のちりぢり山笑ふ

膝に抱く猫の欠伸や梅匂ふ

梅東風や俯瞰の海は縹色

 

   【会員作品】

紅頬集

大雪や日ごと隣家の隠れゆき   大上 章子

たびたびの手指消毒罅われす

残雪や歩道の土の香りたち

記念樹の大雪に耐へ立ちゐたり

早春の日を弾け過ぐ新幹線

 

待つ春の黒々と見ゆアスファルト  志賀 理子

真夜中に一人目覚めて月おぼろ

公魚の連なり上がる湖上かな

列島の天気図覆ふ春の雪

 

初御籤の大吉失くし大慌て   伊藤 佳子

立春の小枝の先や光満ち

はうれん草茹でし緑のまぶしかる

駐車場の高き残雪黒くなり

 

能登の浪まだ荒し藪椿   古西 純子

るいるいと女系家族や雛祭

海原の果ては半島霾ぐもり

 

 

 

 

俳句選評シリーズ 2

俳誌「雉」5月号より

   同人作品評(3月号)  中山 世一

 

遠く近く沼舟見えて蒲団干す    永田 由子

作者は船橋市の方であるからこの沼は印旛沼であろうか、手賀沼であろうか。どこと限定する必要もないが、沼の近くに何軒か家がある、そういう水辺を想定した。その家は作者の居る側にあり蒲団が干されている。今、干す動作をしていると取ってもいいだろう。舟は沖に散らばり岸に繋がれている。冬景色であるがどこか春が近いのどかな景である。「蒲団干す」という季語は風もあまりない、日当りのいい日を内部に持っているから沼も静かであろう。「沼舟」という言葉も柔らかさを感じさせてくれる。

  

冬耕や暮れてなほ打つ鍬の音   永田 由子

この句、一読したときはよく分からなかった。それは「や」で一旦切って「暮れてなほ打つ鍬の音」と読んだからである。したがって鍛冶屋が鍬を打っているのかと思った次第。 でもやはりおかしいと思いなおして、鍬の音は耕しの音だと気づいた。確かに「田を打つ」「畑を打つ」とはよく言うが、まだ何分かは鍬の修理かななどと思う気持ちが残っている。「や」の使い方は難しい。俳句は読者にサービスをする必要はないが、分かり易くあってほしい。

 

朝まだき新聞までの雪を掃く   内藤 英子

南国の土佐育ちで、千葉県に住む私には大雪の地の生活経験がない。この冬は北海道や北陸は大雪であったと度々報道されたが、その大変さを体で感じてはいない。この句、作者は広島の人であるが、雪の朝の大変さを肌で感じるように読む者に伝えてくれる。「新聞までの」という簡潔に叙された表現にかえって心が惹かれる。玄関から新聞受けまでにか小道があるのだろう。新聞を取るためにでさえ、雪を掃いてゆかなくてはならなかったのである。 雪の朝の大変さがよく出ている句である。

 

せきれいの羽音聞こゆる寒さかな   林 さわ子

 せきれい、すなわち石叩きは秋の季語であるが、この句では冬の石叩きである。私の家の近くでもよく石叩きは見かけるが、いまだにその羽音を聞いたことがない。小さな鳥であるから本当に小さな音であろう。作者はその羽音を聞いたのである。したがってこの寒さはしんしんとした静かな寒さである。人の心が研ぎ澄まされるような寒い朝、そして何でも受け入れるという心がなければこの音は聞こえまい。感覚の鋭い句である。このほかにも

 海神や冬菜の太る詣で道

 あをあをと元旦の藪濡れゐたり

など力作が見られた。

 遠くまで行く冬川の水鏡

ところでこの句、遠くまで行くのは作者であろうか、川の水であろうか、水鏡であろうか。鑑賞に迷いの生じた句である。

 

裏山に梟の声坊泊り   梅園 久夫

 子供の頃は八幡様の杜で鳴く梟の声をよく聞いたが、最近ではあまり耳にしない。よっぽど山奥に行かないといないのだろう。あの声は小さい頃には不気味に思えたが、大人になってみると不思議な奥深い音に感じる。「坊泊り」とあるから作者はどこか旅の宿で聞いたのである。羽黒山か吉野かそれを想像することもまた楽しい。山に包まれた奥深い修業の地の坊を思う。

 

あまびえの絵の油染み焼鳥屋   藤戸 紘子

「あまびえ」のことはよく知らなかったが、コロナ流行のおかげで知ることができた。さすが八百万の神の国日本である。最近はあまびえ飴というのもできており、先日の吟行の時に句友から頂いた。この句、焼鳥屋の壁にあまびえの絵が貼られているのであろう。コロナの影響をまともに受けて商売が苦境に立たされているのは焼鳥屋やおでん屋など一杯飲み屋である。作者はあまびえの絵だけでなく、敏感にその絵についている油染みにも気が付いた。いかにも焼鳥屋にありそうな一点景であるが、焼鳥屋の主人の気持も分かる人間味のある句である。「油染み」がどこか悲しい。

 

枸橘の棘にひかりや寒四郎    藤巻 喜美子

カラタチは蜜柑の仲間であるから常緑樹であるが、なぜ冬に棘が目立つ。少し葉が落ちて隙間ができるのであろうか。結構鋭い棘である。この句、その棘に当たる光りを詠んだ。「枸橘の棘にひかりや」までは省略の効いた表現でいい句であると思った。しかし季語「寒四郎」でちょっと引っかかった。寒四郎は寒に入って四日目のことであるが、擬人化である。同じ寒の季語でも作者はなぜ寒四郎を持ってきたのであろうか。もっとストレートに寒を表現してもよかったのではないだろうか。

 

大屋根の雪崩に軒の埋もるなり   中山 ち江

これは雪国の句。「大屋根の雪崩」だから、お寺などの 大きな屋根から雪が雪崩れてきたのだろう。その雪がどさどさと軒の埋もれるほど落ちてきたのだ。あるいは同じ建物でなく、すぐ前か隣の別の建物かもしれない。コトを直接的に言い表しており、迫力のある句である。「なり」にも作者の気持ちが込められていて、あきれている様子が窺われる。

 

冬暖か河津のさくら苗届く   高見 宜明

前書きに「西日本豪雨被災地」とある。「冬暖か」だから冬の初めか、終わりごろだろう。知り合いか友人から河津桜の苗が届いたのだ。作者が被災者かどうかは分からないが、被災者と同じ目線で捉えられている。この句、何といっても「河津のさくら」がいい。河津桜は早咲きの桜、どこよりも早く花が開く。その苗を届けるということは、 春=希望を届けるということでもあろう。もし作者が被災者であれば十分に送り手の意を汲み取っている。

 

ぺらぺらと風に揺れをり古暦    栗栖 英子

「ぺらぺら」というオノマトペを使ってじつにうまく古暦を表現した。まさにモノ俳句であるが、作者の言わんとすることがよく伝わってくる。まず、手触りとしての薄さ軽さである。古暦だから恐らく一枚しかないのだろう。また、この一年間を過ごした作者の自嘲気味な反省も見えてくるようである。

 

亡き夫に遍路宿より賀状来る    山田 智子

今は亡き人に手紙が来るという句は時々見かけるが、この句のいいところは「遍路宿より」にある。かつて作者はご主人と一緒に遍路巡りをしたのであろう。その時泊った宿から、年賀状が来たのである。四国遍路のお接待の心が垣間見られる句である。

 

サンタクロース来ると窓開け子ら眠る   中川 章

昔はサンタクロースは煙突から来るものと決まっていた。では煙突のなくなった現代の子はどこから来ると教えられているのであろうか。誰にも教えられず、窓から来るに違いないと考えた、けなげな子供の寝顔が目に浮かぶ。

 

十二月どんと浅間の近づきぬ    市川 好子

十二月の浅間山はもう雪山であろう。そうでなくても深秋から初冬にかけては空気が澄んでいる。この句、思い切って「どん」という言葉を使って成功した。また「近づきぬ」もいい表現である。まさに目の前にどんと浅間山が近づいて見えるのだ。

 

夜神楽へ毛布抱へて集ひたり   鷹野主 政子

私は神楽は見たことはあるが、夜神楽を見た経験はない。この句、「毛布抱へて」に実感がある。夜の寒さを知っており、夜神楽の長丁場をわが身を毛布にくるんででも見るという覚悟が見える。

 

俳句選評シリーズ 1

 

「雉」4月号掲載

                同人作品評(2月号)   中山 世一

 

 今月からこの欄を担当することとなりました。しかし、 ほとんどの人のことをよく知りません。そのことが評をするのには好都合であるかもしれませんが、的外れなことを書くことがあるかもしれません。その点はどうかお許し頂 きますようお願いします。

 さて、書くということは自分の恥をさらけ出すということでもある。そのことを知りつつ筆を進めてゆきたい。〈雉笛集〉から始め、同人の各欄より順次少しずつ句を選んで 評をしてみたい。

 

裏山の放つ明るさ二月来る   水野 征男

 

 〈雑笛集〉は「田島和生選」とないから、自選句の欄であり、 同人の中でもベテランの方々であるとお見受けする。この 句「放つ明るさ」という表現に注目した。よく見られるの は「輝く」とか「明るき」という表現で簡単に納めてしま うこと、しかしそれではありきたりの表現となり、句はつ まらないものとなってしまう。作者は裏山の木々や色など の明るさを見て、そこに自然の移り変わり、躍動を発見し たのであろう。二月は浅春、その浅春が躍るごとくやって きたのだ。それは同時に作者の春を待つ心の弾みでもある。この心が「放つ明るさ」という言葉を見つけ出したのに 違いない。心の動きのよく出た佳句であると思う。また、この作者は二月号にきちんと二月の句を出している。虚子のように一年間は寝かした句を出しているのであろうか。

青軸の心惹かるる白き梅 この句も早春の句であるが、「心惹かるる」という言葉 がちょっと気になった。この言葉により、かえって青軸 (栽培種の梅の名)に寄せる作者の気持ちが、薄れてしまっ たように感じられる。

 

流れつつ澄む泥水や池普請   大前 貴之

 

 池普請の水が水路を伝って外の方に流れているのであ ろう。作者はその水をじっと眺めていたに違いない。泥 水があるところまで来たら澄んできたというのではなく、 泥水は流れながら少しずつ上の方から澄んできているこ とに気づいたのである。泥水を静的な捉え方でなく、動 的な捉え方をした優れた句であると思う。切字「や」も よく効いていて、切れのいい句である。モノをじっと見 る訓練ができている作者であると思った。

 

仇討ちのごと落葉掻く一日かな  久保 方子

 

 比喩は詩の大きな武器であるが、なかなか使い方が難しい。比喩でなくても表現できるところに比喩を使い失敗する例や意外性が小さく比喩が生かされない例が多い。比喩を上手に使ったのは茅舎であるが、比喩が上手く使えるか どうかは作者の技量を示す物差しである。この句は、比喩で成功している。仇討と落葉掻きの間には普通想像できない大きな違いがあり、その飛躍に読者は驚かされてしまうからである。かく言う私もこの比喩には舌を巻いた。この句、熊手を刀のように振り回しているというのではなく、 仇討に必死である形相や心の葛藤などを言いたかったのであろう。そう解するほうがこの句にかなうように思える。

 

担ぎ女の捲くマフラーの葱臭き   杉本 尚子

 

 最近はあまり見かけなくなったが、私が通勤していた常 磐線では早朝沢山のおばさんやお婆さんたちが、大きな荷 物を担いで茨城の方から東京都内へ野菜や餅などを売りに 来ていた。この句、恐らくはそういった担ぎの人たち、今 やかなりのお歳のおばさんであろう。マフラーなどもくた びれたものに違いない。作者はそのマフラーに葱の香を感 じとった。大根や白菜や汗の匂いもあったかもしれない。 しかし作者は「葱」と言う言葉を選んだ。この言葉により 担ぎ女の生きた姿が目に浮かんでくる。担ぎ女は葱の匂いや体裁などは気にしないで、いや誇りをもってこの仕事を - 続けているのである。季語「葱」の働きの大きな句である。

 

聖堂の明りに踊る冬の塵   福江 ちえり

 

 東京のお茶の水には湯島聖堂という日本の聖堂とニコライ堂というキリスト教の聖堂があるがこれは余談。さてこの句、聖堂という神聖な所に塵という一見場違いなモノを持ってきた。しかしお寺であろうが教会であろうが塵や埃 がよく溜まっていることは周知のことである。それは人だかりが多いからであり、毎日の掃除の手が届かないからである。だから毎年煤払いが必要なのだ。そういう事実に目 を背けないでこの作者は句を作った。しかもその塵は堂内 で舞っているのである。それは冬日だから発見できたのか もしれない。冬は太陽の高度が低いため、日差しが奥まで届くからである。日差しの中に浮かぶ塵を踊っていると見たのは面白い。

 

発酵の蒅(すくも)湯気立つ初しぐれ   岡田 栄子

 

 作者は藍作りのことをよく知っている人であるらしい。 徳島市の周辺は江戸時代には藍の大生産地であり、今でも 藍を作っているところがある。藍は真夏に葉を刈り、いろ いろ加工して秋ごろから発酵させる。そして完成するのが 染であるが、この句は完成前の状態の薬を詠んでいる。藍 の発酵を促すためには筵を被せ、何度も水を打つ。そのたびに発酵熱のため藻々たる湯気が上がる。外は冷たい時雨、内は療々たる湯気である。生きた藍作りが読み取れる作品である。

 初しぐれ薬に深く熊手入れ

この句も同時にできた句であろう。水をかけた藍(蒅)はむらなく熊手でよく混ぜなくてはならないからである。

 

濡れ縁を弾け飛び出す干大豆   今田 昌克

 

 日の当たる縁側に探か筵を置き、大豆を干していたのである。日が当たってくると豆の莢が捩れ、ぱちんと音がして自然に大豆が飛び出してくる。作者が豆を干していたのかそういう現場に偶然通りがかったのかは分からないが、 興味を持って句を作ったのであれば後者と解したほうがよさそうである。また、余談であるがすべての豆がこのように弾け出るのではない。そのためあとで筵の上で干した豆の莢を砧やビール瓶で叩くのである。

 

外つ国の大きな靴の牡蠣割女   馬木 芳子

 

 外国から出稼ぎで日本に働きに来ているのであろう。牡 蠣割りなどの辛くて強い匂いのするような仕事は今や日本 の若者はやりたくないのであろう。したがってこんな仕事 をするのは老人か外国の人である。作者は呉の人であるか ら牡蠣の生産現場のことはよく知っている。この句の良さ は働いている女性の「大きな靴」を発見したことにある。大きな靴の人とは大柄な人である。辛い仕事には違いないが、祖国に残してきた家族のためにこの女性は体を揺すりながら一生懸命働いているのである。その姿が見えるようである。

 

音のよき算盤弾き年送る   迫田 邦子

 

 算盤の上手な人はそれを弾く音もいい。昔はよく使われた算盤であるが、今やほとんどが電卓かコンピューターに代わってしまった。それらも便利には違いないが、やはり商家では算盤の音を聞きながら、年を送りたいものである。算盤によき音を感じる作者は算盤とはいいものだ思いながら算盤を愛用しているに違いない。

 

次の句にも触れたかったが、紙数が足りなかった。

 

影長くなるまで鴨を見てみたり   佐瀬 元子

大蛇にも御捻りのとぶ村芝居    黒田 智彦

散紅葉賽銭箱にすべりこみ     寺田 記代

小六月小さくなりし肩を揉み    海生 典代

籠を編む竹の波打つ冬日向     山本 逸美

しばらくはびくに入れけり模植の実 東田 基子

印結ぶ指先の反り返り花      市川 好子

 

尚、主宰の俳句は、「俳句燦燦」において連載されておりますので、

雉ホームページの「今月の雉」をご覧ください。

http://www.kijihaiku.org/kongetsu.html

 

 

 

金沢句会(2021)4月通信

金沢句会、田島主宰後日選。

田島和生主宰選

◎棟上げの祝詞上ぐるや揚雲雀   小林 亮文

◎花陰に座して輪読マタイ伝    後藤 桂子

◎脱稿にひばりの声の高きかな   福江 真里子

 

自転車の空気の逃げて花三分    田崎 宏

籠り音に鳩の啼き合ふ春霞     小林 亮文

手に掛けて桜を見上ぐ老の人    小林 亮文

耕せし泥靴洗ふ親子かな      宮崎 惠美

チューリップ茶房に雨をやり過ごす 宮崎 惠美

春雷や妻の筆字の太かりき     田崎 宏

電線に楽譜めく鳥春うらら     小林 亮文

畦の火へ棒持て女向かひ立つ    山岸 昭子

合格へコロナを忘れマスクせず   中山 ち江

母親の振袖借りて卒業す      佐瀬 元子

流れつつ添ひゆく女雛や夕の鐘   後藤 桂子

厩出しの馬の眼のうるはしき    山岸 昭子

雀来て桜の蕾啄めり        本多 静枝

同級生みな合格と笑ひたり     佐瀬 元子

春の月今宵は大き暈をさし     山岸 昭子

霾れる海に鷗の飛びにけり     山岸 昭子

犀川の流れへ花の枝垂れけり    中山 ち江

園児乗せ声のせ進む花見船     生田 章子

たんぽぽに一筋ひかる日本海    海野 正男

教会のステンドグラス暮遅し    度山 紀子

欅の芽子育ての鳥見えにけり    生田 章子

春泥の靴の散らばる珠算塾     辻江 恵智子

草の根をつついてゐたり雀の子   福江 ちえり

笑ひたる野仏二体黄水仙      辻江 恵智子

幼な手の卵を渡すイースター    福江 真里子

紅枝垂城下の風に裾を曳き     福江 ちえり

尉鶲窓辺へ鳴いて飛び来たる    度山 紀子

靴下の小指の穴や啄木忌      海野 正男

風孕む五色の幕や彼岸寺      福江 真里子

バス停に汚るる椅子やいぬふぐり  福江 真里子

 

次回は、5月1日締切(必着)

ご担当は、小林亮文さんです。

 

お知らせ

青木和枝句集『白山茶花』をお譲りいたします。

オンライン俳句図書館にて公開されておりますが、

実際の本を手にしたいと思われる方、

どうぞご連絡ください。

(残り2冊)

ご連絡は、雉のホームページよりお願いいたします。

「おたより」より、お願いいたします。

www.kijihaiku.org

お待ちしています!

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