「雉」北陸地区のブログ

「雉」句会の活動を公開しています

金沢句会(2021)5月通信

田島和生主宰選

〈特選〉

図書館の窓にきらめき椎若葉     度山 紀子

海市立つ能登の岬の反転し      山岸 昭子

能登富士の映ゆる水田や匂ひ鳥    後藤 桂子

 

〈並選〉

棟上げの掛矢の音や若葉風    小林 亮文

下萌や地鶏の卵ころがれり    海野 正男

鳴龍を一たび鳴かせ春惜しむ   佐瀬 元子

洞穴へ渦巻く潮暮の春      後藤 桂子

茄子胡瓜支柱はしかと蝶結び   生田 章子

岩洞の座る石仏滝の音      田崎 宏

白山の風に揺れゐし麦の波    後藤 桂子

汐の香の醤の町や小判草     辻江 恵智子

こでまりの花のうねりて風の中  福江 真里子

繋ぐ手を放し幼の子猫追ひ    度山 紀子

薫風や自転車に妻油差し     田崎 宏

青天に白山聳え清和かな     本多 静枝

大窓へ黒き一閃初燕       海野 正男

思ひ切り伸ばす節々五月来る   山岸 昭子

永き日や草の長き根掘り起し   佐瀬 元子

御輿蔵銀杏若葉の影のゆれ    辻江 恵智子

板垣の外へ一枝の雪柳      福江 真里子

 

 

俳句選評シリーズ3

俳誌「雉」6月号より

 

      同人作品評(4月号)   中山 世一

 

 私は若いころから師や先輩たちから写生ということを叩き込まれてきた。そのためか、どうしてもモノに即した句を採ってしまう傾向にある。長い経験から、俳句は勿論写生句やモノ俳句ばかりがいいのではないことは知っている。しかし、五感を通してモノの存在に触れる句、手触りの感じられる句に出会いたいと願っている。それは必ずしも快い、口当たりのいい俳句ではないのである。

 

紅梅のぶつかり合うて咲きにけり   河野 照子

 「ぶつかり合うて」がいい表現だと思った。内容は風に揺られながら芽を出し、蕾が膨らんでくると蕾同士がぶつかり合いながらということであろう。咲いている今もぶつかり合いながらかもしれない。枝と枝、花と花であるがまるで兄弟が競い合い、争いながら成長しているようである。生き生きとした表現であり、梅の木の生命が感じられる。

 

朱の樽に一杓づつのお水取   栗原 愛子

 タイトルに善宝寺とあるから、ネットで調べてみた。立春恒例の行事としてお水取りが行われている。したがってこの句の「お水取」は東大寺二月堂のお水取りではない。それは「朱の樽」という言葉からも予想された。でも山形県鶴岡市地方では立春の立派な季語なのであろう。このように地方独特の季語があり、それは俳人協会の『○○吟行案内』などでも紹介されている。このような地方独特の季語や方言は俳句においても大事にしてゆきたいものである。この句「一枚づつの」という表現により二月堂と違って、多くの人が参加できる行事であることがわかる。

 

伊勢海老を裏返しては商へり   古岡 美惠子

 面白い句である。この句の眼目は「裏返しては」という表現にある。モノをよく見ている。この表現により、伊勢海老ばかりでなく、売っている人の表情や態度、場(おそらく年の市)の雰囲気もよく分かる。詳しく言われてい くても読者がこのように想像できる句はいい句である。

体毛を光らせ蜘蛛の凍るかな  古岡 美惠子

同じ作者の句であるが、この句にも作者の目が感じられる。

 

早梅や父母に挟まれ二児の墓  森 恒之

 哀れを感じさせてくれる句である。「二児の墓」とあるから、幼くして亡くなったこの父母の子供であろう。亡くなったのは戦争か病気かは分からないが...。この句の父母はおそらく作者の父母であり、幼児の墓は兄弟なのかもしれない。「早梅」という季語からはあるすがすがしさも感じられるから、いろんな苦労はあったがこの父母は幸せな一生を送ったのであろう。鎌倉・寿福寺の虚子の墓は白童子(虚子四女)、紅童子(虚子の孫娘)という小さいころに亡くなった虚子の子と孫の墓に挟まれている。

 

雪しまき防災無線切れぎれに  新谷 亜紀

 雪国の様子がまざまざと分かる句である。今年の冬、ニュースで雪国の暴風雪が伝えられた。防災無線は災害通報のために各家庭に設置されているものであろうか。私の実家(高知県)にも津波のためのこのような無線装置が置かれている。その装置に雑音が入ったり、切れぎれに音が聞こえたりするのである。大雨の時でもそうであるが、雪 のしまく時はもっとひどいに違いない。素直に事態を叙しているが、雪国の生活の一面がよくわかる句である。

 

真白な蕾のままや菊枯るる   寺田 記代

 この句にも、しっかりとモノを見ているな、と感心した。 私も実際にこんな景を見たことがある。菊は冬になると蕾をつけたまま枯れるのである。この句は「真白な」という言葉によって、まだ若い命、純真ということなどを読者は思う。作者は必ずしもそんなことは意図せず、ただシンプルに作っていると思うが、単にモノに語らせているところがいいのかもしれない。

 

一筋の草噛んでゐる氷柱かな  源 伸枝

 細かい描写のように思われるかもしれないが、表現はそうであるとしても内容は深い。自然の摂理が淡々と叙されているが、地球の自然そのものが生き物のように感じられる。この一筋の草は青々とした草に違いない。でないと目につきにくいし、生きている感じがしない。氷柱は小さな氷柱だと思う。一本の草を噛む(凍って挟み込む)のだか ら大きな氷柱とは思えない。冬の早朝などには草つららという草の先にチョンとできる氷も見ることができる。

 

ふつふつと湯気まで青き七日粥  山岸 昭子

 七草粥の句である。この句のいいところは「湯気まで青き」という表現にある。おそらく本当に湯気が青いわけではなくそう感じたのであろう。それは鍋に入れた七草が青々としているからである。作者はその青を強調したかったのに違いない。「食べ物の句を作るときは、食欲をそそるように作るべきだ」とある人は言っている。まさにこの句は食欲をそそってくれる。

 

倶利伽羅の闇の初護摩太鼓かな  海野 正男

 木曽義仲と平家の戦いのあった倶利伽羅峠、牛の角に松明をつけて平家の方へ追いやったという合戦は有名である。今は高速道路で行っても倶利伽羅という地名が出てくるし倶利伽羅という駅もある。初護摩だから新年の護摩で ある。倶利迦羅不動寺護摩であろう。この句、「倶利伽羅」という地名がよく働いている。闇に響く護摩の太鼓や音声は倶利伽羅峠の合戦を思わせてくれる。

 

凍土へ踏み出す鶏の爪太し  大葉 明美

 「爪太し」がいい発見。鳥は恐竜の子孫と言われているが、その足や爪を見ると納得できる。凍土だから凍って固い土にむんずと鶏の爪が踏み出したのだ。いかにも力強い。爪の先は固い凍土に食い込んでいるのだろう。

合掌し耕土を均す鍬始  大葉 明美

同じ作者の句、農業に従事している人だろうか。「合掌し」という言葉に心から土に感謝していることが読み取れる。

 

四尺の雪の真青に透けてをり  生田 章子

 私は高知県育ちで、いまは千葉県に住んでいる。だから雪国の経験がない。我々が雪を美しいなどというと雪国の人達に怒られるという話をよく聞く。さて、この句の作者は富山県、雪国の人である。私はこの句の「雪の真青に透けてをり」を美しく神秘的と感じたのだが、本当はどうなのであろうか。作者は恐ろしいと感じているのであろうか、それとも青く透けてきて―ということは春が近くなってきて―安堵しているのであろうか。

 

粉雪の乗りたる葉書手渡され  山崎 和子

 優れた写生句だと思った。手触りの感じられる句である。葉書を渡してくれたのは家人であろうか、それとも郵便配達人であろうか。「粉雪の乗りたる葉書」だから郵便受けから出す、もしくは手渡される、そのちょっとした間に葉書に粉雪が乗ったのだ。それを見逃さずに一句にまとめた腕前は評価されていいだろう。しっかりとモノを見ていれば句ができるわけではない。本当に句にすべき焦点を切り取らなくてはならない。また、そうしたからいい句になるわけでもない。いい言葉を授からなくてはならない。いい言葉を授かってもまだ句は完成しない。無駄な言葉をそぎ落とさなくてはならないのだ。しかし、この句はそんな難しいことは抜きにすっとできた句のように思われる。本当はそんな句が一番いいのだろう。

 

次の句にも触れたかったが紙数が尽きてしまった。

 

厳寒や手の切れさうな空のあを 川口 崇子

笹子鳴く生傷舐めて竹細工   後藤かつら

群猿の足跡埋むる雪時雨    為田 幸治

「雉」三十周年記念特集号より

平成27年8月号

「雉」三十周年記念特集 諸家近詠

 

 茨木 和生 「運河」主宰

雉走り飛ぶここからは口吉野

雉鳴けり峠を越ゆる旧道に

飛び立ちし雉のひかりとなりにけり

 

 大串 章 「百鳥」主宰

夏帽子蝶とまらせて莞爾たり

サングラス外し麒麟を見上げをり

万緑の山稜昭和振り返る

 

 大坪 景章 「万象」主宰

牡蠣殻の山の春光三十年

石垣のつづく奥より雉子の声

江田島の桜を撫づる刀自かな

 

 大峯 あきら 「晨」代表

三十の朴の大輪よく見ゆる

天辺に昼の月あり雉子の声

雉子鳴けば千早の嶮に木魂かな

 

 千田 一路 「風港」主宰

片頬に目薬這はせ今朝の秋

無造作に受けし釣銭雲は秋

遠山の襞際やかに水の秋

 

 鷹羽 狩行 「狩」主宰

雉はこれ犬・猿はどれ星月夜

広島や紅白きそふ夾竹桃

先代の名乗りさはやか「林徹」

 

 辻田 克巳 「幡」主宰

走馬灯走りて何に追ひ付くや

蟬声の百千であり一つなり

念入れて老いむと思ふ土用餅

 

 宮田 正和 「山繭」主宰

雉の声聞きたしと来る朝歩き

雉鳴いてよりの静寂を黙しゐる

欣一の声徹の声朝雉子

 

 山本 洋子 「晨」編集長

朝風のしきりに吹いて雉子の声

山かげに立ちし幟の紋所

本棚をかたはらにして夏来たる

 

 八染 藍子 「廻廊」主宰

号令の雉の一声野火馳する

記念日の定礎を囲み踊花

万緑や揺られて締まるかづら橋

 

俳誌「雉」5月号より

「雉」誌に掲載されておりましたが、二重投句の問題があり、句会報も、「雉」誌の掲載を待ってからとなりました。

句会報をお待ちの皆様へ、「雉」誌掲載の北陸地区の方々の作品をご紹介いたします。

 

   【同人作品】

白雉集

   春近し   小林 亮文

連峰の尾根くつきりと春近し

放し飼ふ鶏の下萌ついばめり

見えねども土盛り上がる蕗の薹

剱岳雲間を白き冬の月

雪解風苔の色濃き旧庄屋

底の鯉上を窺ふ四温かな

 

   春吹雪   佐瀬 元子

山茶花咲き継ぐなかを逝きたまふ

春灯遺影のまなこ潤みをり

野辺送り春の吹雪となりにけり

雪折れの伐りたる幹の太かりき

春めくや廂の影の深くなり

引く前の鴨ゆつたりと流れけり

 

   山茶花   福江 ちえり

撓ひたる竹の凍てをり峠越え

  悼 青木和枝先生

山茶花や永久の眠りに薄化粧

春の雪御堂を出づる柩かな

名を呼んで柩を送り春の雪

春雪の靴に沁みゐる野辺送り

足跡に足跡重ね春の浜

 

  枝垂れ紅梅   中山 ち江

コロナ禍へしつかりと撒き節分会

日脚伸びちよこんと椅子に孫座る

御堂に射す春の光りの美はしき

ふつくらと枝垂れ紅梅墓所に咲き

父と子とそつと涅槃図掛けゐたる

がたがたと雨風強し彼岸前

 

飛翔集

   料峭   度山 紀子

料峭やワインセラーに一人づつ

隧道の一すぢ光り春動く

這ひながら受くる福豆鬼の豆

早春や滾る寒雉の釜の鳴る

師は逝きぬ聖(セント)バレンタインの日

楚々と咲く金縷梅の木を撫づるかな

 

   帰る鶏   山岸 昭子

  青木和枝先生 追悼

山襞にひかりを撒きて帰る鳥

地に拾ふ実のふくらめり今日雨水

風花や野に五位鷺のみじろがず

二人きりの姉妹となりて梅見かな

雪しろのひかり溢るる野道かな

雪解けて庭のをちこちゆうきん花

 

   白梅   海野 正男

白梅に結ぶ合格祈願絵馬

如月の青竹を割る神事かな

躙り口開けてとほせる春の風

立春大吉棟上の木の香り立つ

きらめける涅槃の雪にみまかりぬ

白梅やまこと小さき骨の壺

 

 名残の雪   本多 静枝

をちこちの雪吊取れて空広し

春暁の雲間に霊峰ひかりをり

産土の匂のとどき木の芽風

倶利伽羅の名残の雪や通夜詣

空耳か師の呼ぶ声や二月尽

苔むせる磴の百段紅椿

 

  梅二月   宮崎 惠美

塔尾陵へ石段六十寒椿

権六の筆の極細腰障子

試飲して少し酔ひたり梅二月

化粧水顔に噴霧の春来る

如月や紫水晶贈らるる

春の日や金沢城の海鼠壁

 

青藍集

   早春   生田 章子

立春や干し場に仄か日の匂ひ

春立つや靄立ちこめて散居村

両袖を広げ威を張る男雛

くつきりと犬と靴あと雪解径

手紙出し戻る坂道梅の花

弟の遺影新し冴返る

 

   山茶花   福江 真里子

ストーブの火のとろとろと法話かな

朗朗と続く読経や春障子

沖と空淡く明るき二月かな

山茶花を雨の打ちゐて旅立てり

笹の中椿の紅のちらほらと

山茶花の白凛として別れかな

 

  独活洗ふ   後藤 かつら

蜆舟湖から湖へ影を曳き

夕鐘や川門に洗ふ鶯菜

暖かや鯉の群がる麩の一つ

牧開水平線のかち色に

春浅き荒鋤の土湯気立ちて

独活洗ふ落人村の外流し

 

  地虫出づ   辻江 恵智子

春の雪霏々と喪服の裾までも

ふるさとの風の匂や地虫出づ

継ぎ接ぎの縄文土器や冴返る

校庭に声のちりぢり山笑ふ

膝に抱く猫の欠伸や梅匂ふ

梅東風や俯瞰の海は縹色

 

   【会員作品】

紅頬集

大雪や日ごと隣家の隠れゆき   大上 章子

たびたびの手指消毒罅われす

残雪や歩道の土の香りたち

記念樹の大雪に耐へ立ちゐたり

早春の日を弾け過ぐ新幹線

 

待つ春の黒々と見ゆアスファルト  志賀 理子

真夜中に一人目覚めて月おぼろ

公魚の連なり上がる湖上かな

列島の天気図覆ふ春の雪

 

初御籤の大吉失くし大慌て   伊藤 佳子

立春の小枝の先や光満ち

はうれん草茹でし緑のまぶしかる

駐車場の高き残雪黒くなり

 

能登の浪まだ荒し藪椿   古西 純子

るいるいと女系家族や雛祭

海原の果ては半島霾ぐもり