主宰俳句
面影の先生と酌み初諸子 田島 和生
同人作品評 中田 尚子
採石の山を遥かに牡丹鍋 吉田 泰子
人間の都合で削られて姿を変えていく山があります。筆者の身近なところでは秩父(埼玉県)にある武甲山がそれです。いつか人間の傲慢に神様の怒りがもたらされるのではないかと思えるような、痛々しい姿をさらしています。揚句もそのような山を想像しました。
そして、作者は今牡丹鍋を囲んでいるところです。猪は個体差があるようですが、おいしいものは脂身も甘く本当に美味です。座もきっと沸き立っているでしょう。しかし、これも自然の命を戴く行為。「採石の山」と「牡丹鍋」。この取り合わせからは、作者の人間に対するアイロニーが感じ取れるのです。「遥かに」に、心の揺れがうつされているようにも思えます。
頬 紅 集 秀句・佳句 田島 和生 主宰
手術終へ歩いて部屋へ冬薔薇 野崎 郁雄
作品に、「母白内障手術」と書き添えてあり、手術を終わった母の姿らしい。目が不自由で歩くのも難儀していた母は、手術が終わると、病室まで足取り軽く歩いた。飾った冬薔薇も良く見える。母の回復を喜ぶ作者の思いも伝わり、味わい深い。
嫁が君キウィに大き穴をあけ 林 喜美子
昔から鼠は米を食う嫌われもの。新年では鼠をいっても縁起が悪い。で、異名は尊敬語の「嫁が君」。ところが、気が付けば、収穫したキウィ(辞書ではキーウィ)におおきな穴。おかしみのある「嫁が君」を生かし、なかなか面白い。
魚籠の中寒鮒跳ぬる音しきり 後藤 かつら
釣った寒鮒を魚籠に入れて置いたら、盛んに跳ねる。「音しきり」の表現が秀逸で、元気のいい寒鮒を想像させる。寒中の鮒は身が締まり、一年中で一番おいしいといわれるが、さて、釣り上げた鮒は飴炊きにでもしたのだろうか。
七草や山襞光る剱岳 大上 章子
正月七日、薺などを入れた七草粥を食べている。窓から富山の立山連邦の高峰剱岳の山襞に残雪が輝いているのが見える。健康を祈る七草粥と大自然とが溶け合い、気持ちがいい優品。
各地だより ―北から南から―
「ガキの頃から」 野崎 郁雄 さんが投稿なさっていらっしゃいます。
どうぞお読みくださいませ。
以上、俳誌「雉」4月号より抜粋いたしました。