「雉」北陸地区のブログ

「雉」句会の活動を公開しています

俳誌「雉」新年号から

主宰俳句
           有磯海     田島 和生
     淡海からぬれて鵜のとぶ夕月夜
     番の鵜並んで月下とびにけり
     月光のあまねき琵琶湖大鯰 
     柊の幹の武骨に咲き匂ふ
     ひひらぎの花より小さき虫集ふ
     枯崖を打つて音なく浪退けり
     有磯海をちの連山雪来る
     峰々に仏の名前冬夕焼



       俳句の華『初仕事』を読んで     青木 和枝

 去年八月、待ち望んでいた小室登美子さんの句集『初仕事』が出版された。しかし出版を待たず(平成29年3月14日)に急逝され、遺句集となってしまった。
 昭和14年11月1日、富山市生まれ。戦時中疎開で母方の実家の八尾へ移住。子供時代から大好きな「風の盆」に親しむ。登美子さんはおわらお反りの名手であった。編笠をかぶり踊り始めると、人が変わったように一層美しくしなやかな所作が目立ち、私はいつもうっとりと見とれていた。
 唄ひ手の喉鍛へをりあいの風
 どの路地も雪洞ともし風の盆
 立山の日の出に踊り果てにけり
 一句目。おわら節の絞り上げるような声も喉の鍛錬のたまもの。二句目。静かな山里も風の盆には人、人でごった返し、路地の雪洞が華やぐ。三句目、踊りは9月1日より三日三晩、細い町筋を流し最終日は徹夜で踊る。静かで優美な踊りながら、どこか人々を夢中にさせるものがある。
 注射器の触れ合ふ音や初仕事 句集冒頭の句。句集名はこの句から本人が選ぶ。句から分かるように登美子さんは看護婦であった。病院の仕事には盆も正月もない。当直だったのか、使用ずみの注射器や器具を洗浄している。「注射器の触れ合ふ音」が具体的で心の弾みが伝わり明るい。
 片仮名の戦死の父の文曝す
 遺骨なき父の手紙や百日紅

父は登美子さんが4歳のとき戦死。片仮名の手紙は幼い子供たちへのものだろうか。次の句は百日紅が何か重いものを思わせ、これが最後の手紙となったのかもしれない。
 臥す母の寝息に合はす団扇かな
 腰揚げを増やせる母の更衣
 一句目、同居して三人の孫を育ててくれた病気の母に感謝しながら団扇の風を送る。「寝息に合はす」がポイントで、じっと見つめながら母に心を寄せている。最期まで自宅で看取り、親孝行をされる。二句目、母は老いるにつれ痩せて小さくなってしまう。着物の腰揚げをふやし体に合わせる。登美子さんは針仕事や編み物も得意であった。
 その他にも身近の句を丁寧に詠んでおられる。
 雛の髪癖を直して納めけり
 干鮭の腹の血管透きゐたり
 浅春や一本長き猫のひげ
 筍の皮剥ぐたびに露こぼれ
 水中花泡一粒を葉の裏に
 宝石の流るるごとき魦かな
 薄紙で視線を包み雛納め
 どの句もわかりやすく、物をよく見ていないと詠めない句ばかりで登美子さんの作句姿勢が見事に出ている。
 また、風土俳句には次の俳句がある。
 星とぶや明日進水の丸木舟 小矢部市にある縄文遺跡から翡翠の勾玉が出土したことから、縄文時代への夢を追い、小矢部から糸魚川市のひすいの海岸まで丸木舟での旅を計画。市の「石斧の会」のメンバーが手斧で丸木舟(長さ6m・4人乗り)を造り平成18年8月、進水、出発する。途中転覆したり悪戦苦闘しながら無事糸魚川に到着した。
 この句は明日進水出発する丸木舟での冒険的な夢が成功し、無事に帰着するよう、ひたすら星に祈っている。季語「星とぶ」にはどこか侘しい陰や不安がつきまとっており「明日進水の丸木舟」と響き合って佳句と思った。
 飛ぶ星のように消えてしまった登美子さん。もっともっと永らえて一緒に俳句を続けて行きたかった、と残念でなりません。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 歓迎! 新入会員    志賀 理子しが りこ)さん 
       小矢部市出身。北海道在住。
       小室登美子さんのお嬢様です。
       皆様、応援を宜しくお願い申し上げます。


以上、俳誌「雉」新年号より抜粋いたしました。