主宰俳句
浮寝鳥 田島 和生
せつせつと稿埋め勤労感謝の日
にはとりの目玉ちかぢか烏瓜
さるすべり力める瘤に冬赤芽
浮寝鳥ゆれゐて吾もゆれにけり
図らずも八十路祝はれ蕪蒸 長崎 3句
爆心地流れへあまた散紅葉
冬ざれのみなと横丁鱗ちり
きらめくや真珠筏の小春浪
同人作品評(12月号) 菊田 一平
冬瓜の石のごときを抱きをり 海野 正男
月に一度、近所の老人ホームで句会をやっている。現役のころから始めてもう十年になるがメンバーの顔ぶれもすっかり変わってしまった。変わらないのはだれしもが故郷のことや亡くなった父、母やその思い出を詠むことと、ホームのイベントやエントランスの季節の花や窓から見える富士山を詠むこと。この二、三年は、屋上菜園で収穫した野菜類を詠む句がそれに加わった。先日は句会のテーブルに収穫したばかりの冬瓜とサツマイモが飾られた。プランターで育てられたサツマイモは長く根を伸ばすことが出来ないので野球ボールのように丸々としていたけれど、冬瓜はラグビーボールのようにずしんと肥えていた。持ち上げるてみたら海野さんの句のように石の塊のように重かった。
平成29年のわが一句
白山の雫集めし瀑布かな 田島 和生
加賀白山を源流にした手取川で滝と出会った。大瀑布は草木などの雫を集めて落ちているのだ。そう、思った。
門の無き駈込寺や帰り花 石黒 哲夫
廓に門のない寺がある。たぶん芸妓らへの心遣いであろう。楚々と咲く帰り花が印象的であった。
藤五郎祀る山の端三十三才 太平 栄子
金沢の地名の由来となった金城霊沢。芋掘藤五郎の祠が近くの山にある。三十三才が零れるように騒いでいた。
束の間に潮目移ろふ冬日射 青木 和枝
十一月、全国大会で呉へ。清盛公の日招き像を訪ねる。ここから音戸の瀬戸の海が展け潮目が美しかった。
連ね干すピンクの産着今朝の秋 吉田 泰子
曽孫の出生を見舞った折、物干し場の可愛いピンクの産着に思わず出来た句。あたかも立秋であった。
絶筆となりし句稿や春時雨 佐瀬 元子
3月14日小室登美子さんの突然の訃報。何日か前の投句の字、形も整い筆圧も強かった。まさか絶筆となるとは…。
梳けば飛ぶ馬の抜毛や夏きざす 福江 ちえり
馬はとてもいとおしい。馬体を丁寧にブラッシングすると抜毛が宙を舞った。夏の訪れに心がはずんだ。
仏縁の孫の挙式や春日さす 中山 ち江
孫の結婚式に夫と共に出席できました。何もかもが輝いて見える今年最高の一日で、仏縁に感謝致しました。
しろがねに沙羅の芽ぐみぬ雨の中 谷口 和子
父の命日に夫が植えた。どの窓からも皆の眼に触れる。折しも雨、芽ぐみの沙羅は燻し銀の如く光っていた。
養花天久弥遺品の赤ヤッケ 度山 紀子
三月末、念願の「山の文化館」を訪れ、深田久弥の足跡を鑑賞した。中でも愛用の赤ヤッケの前を離れ難かった。
さよならと雪を投げ合ふ下校の子 山岸 昭子
小学校前で安全の見守り中のこと。久しぶりの雪に喜々として雪を投げ合い、なかなか帰途につかない子等。
掃苔や北鎌倉へ杖を曳き 宮崎 明倫
叔父の墓碑を円覚寺に遷したと、三年前亡くなった兄から聞いていた。金沢からは遠く今年初めて訪れました。
凍鶴のかたまりゐしも相寄らず 海野 正男
霧の中凍河に片脚で立つ鶴。かたまりながらも、それぞれがある距離を保っています。孤高を感じました。
去来せる大佐の考や呉小春 本多 静枝
旧東郷家に立った時義父を想った。大差はあるが同じ海軍大佐。戦後は惨めだったと。その一言が身に沁む。
禅寺の広縁に蟬裏返り 宮崎 惠美
南禅寺庭園の広場に一匹の蝉の亡骸が…。小さい身ながら堂々と裏返っている。羨望のまなざしで見ました。
紅頬集 秀句佳句 田島 和生 主宰
花嫁を門で見送る実南天 松本 よね子 結婚式を迎え、家族や親類縁者らが着飾った花嫁を玄関先で見送る。長年住み慣れた家を離れる花嫁も後ろ髪を引かれる思いだろう。庭には南天の赤い実が揺れ、門出を祝うようである。花嫁の幸せには「難を転じる」南天がふさわしい。
以上、俳誌「雉」2月号より抜粋いたしました。